
川で発見!キラキラと光り輝く …?
昭和36年、夏の出来事。最上川で川遊びをしていた少年達が、川底にキラリと光るものを見つけました。少年が家に持ち帰り、古物商に見てもらったところ、なんと!小判であることが判明。「川で小判が発見された!」うわさを聞いた人々は川でのお宝探しに夢中になり、騒動は2週間以上も続いたとか...。 |
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文政小判 |
二分金 |
二分銀 |
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江戸時代の文政時代に発行された小判。 |
2枚で小判1枚分の価値 |
7枚で二分金1枚分の価値 |
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山形新聞 昭和36年8月3日・朝刊 s360803_news.pdf
(355kb)
山形新聞 昭和36年8月16日・夕刊 s360816_news.pdf (210kb)
しらたかムック 1991年・掲載記事 1991mook.pdf (2,079kb)
一体誰が?何故川に?
さて、こんな大金がなぜ、川底に埋まっていたのか?この謎を解く、二つの説を紹介します。
今から400年ほど前、地元の豪商・西村久左衛門が、川原近くの屋敷に財産を隠していたが、台風による川の氾濫で屋敷が流されてしまい、その財産が川に流され、沈んだのではないかというもの。西村久左衛門とは、難所と言われた最上川上流「黒滝」を、膨大な費用をかけて開削し、米沢藩の舟運に貢献した人物です。 最上川河畔に建つ「黒滝開削の碑」 |
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天保元年(1830年)7月10日のこと。城下(米沢)の大和屋久左ヱ門から、荒砥の清水屋に八十両を運ぶ飛脚が鮎貝・荒砥間の最上川で溺死した。その時傍にいた本庄家中の一人が盗みの疑いで入牢となったけれども証左がなく釈放された。以上は当時本庄家用人の小嶋俊親が、その勤め書に記すところであるが、事件の詳細を欠くのは、勤務上の必要が主になっているためである。... 「歴史ウォッチングVol.58 白鷹町誕生40周年(最上川から小判ザクザク)文:荒川 幸一」より抜粋。 この出来事は、文政小判が使われていた時代と一致し、飛脚が溺死したとされる場所も当時の渡し場に近く、飛脚が運んでいた金額と拾われた小判の金額もほぼ同じです。このことから現在、もっとも信憑性が高いとされている説です。 |
小嶋俊親の日記より <資料> |
しらたか音戯草子2 「白鷹聞庫(最上川の話)」otogishi-bunko.pdf
(982kb)
小嶋俊親の日記より (寛長公御代要覧)kojima_nikki.pdf (102kb)・・・飛脚・溺死遭難事件について





