
春の苗代の種蒔きの頃に花が咲く
ので種蒔き桜と呼ばれてきた。八
乙女八幡神社の創立は、八幡太郎
義家が東征の折り日頃崇拝する京
都の石清水八幡を遥拝し、この丘
に弓矢を立て奉り8人の乙女に舞
楽を奉させたと言われている。神社
のある丘一帯は、荒砥城址として
史跡に指定され本丸跡、空堀跡、
水跡の一部が残っている。[地図]
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南部5町内の原地区小屋館(稲荷)
にしだれ桜の巨木があります。この
桜の由来は南部4町内に建立され
ている塔姿石様に深い関わりがあ
ります。塔姿石の碑面「南無阿弥
陀仏」は、仙台瑞鳳寺の僧南山大
和尚に酒を土産に持参し依頼した
ところ、一気に飲みほし書き終えた
といわれる。帰途仙台の釈迦堂と
いう所から桜の苗木を3本譲り受け
大念仏塔建立の発起人高橋与衛
門氏が植えたといわれている。
このように桜の木と塔姿石が結び
ついた伝説がある。[地図]
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昔、鮎貝城主本庄様の子息が丈夫な
子供に育たず若死して困っていた。
次に生まれた子供も弱く心配していた。
ある日、一人の童女が訪ねてきてその
人を子守に付け寄せたら子息は丈夫
に育った。子守りを褒めようと殿様は
呼び寄せたがその姿はなく夕方にな
っても戻らず、探しに行ったら丘の上
に草履だけ置いてあった。数日たって
も子守の姿はなく本庄家ではあの子
守は、地蔵菩薩の化身だったのかも
しれないとその場に地蔵堂を建てて
祀った。これが子守堂である。その側
にエドヒガン桜の大樹がある。[地図]
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