2011年 置賜さくら回廊観光推進会議
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長 井 市 エ リ ア

大正13年12月9日に国の天然記念物に指定された。大正14年に山形県から発版された史跡名勝天然記念物
調査報告書によると、「延歴16年、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征討の軍に従事し、漸次陸奥出羽を巡撫
してこの地来り、豪族久保氏の女お玉が厚くこれに侍す。将軍軍旅を収めて去るやお玉追慕恋の情に堪えず、
翌年ついに病没す将軍之の訃に接し一株の桜をお玉の墓に手植して、似て墓標とせり。」と記載されているこ
とから、樹齢は約1200年と推察される。樹幹の周囲が6.8メートル、なんと40アールに枝が広がり「四反桜」の
異名をとっていた。米沢藩主が来観し、樹下10アールの土地を明治維新まで無税地にした。平成2年から12年
まで樹勢回復事業を実施している。[地図]

  

平成17年7月14日に国指定天然記念物に指定。
かつて大明神桜は枝の広がりが一反歩(991.74平
方メートル)にも及び、家を覆っていたと言われる。
言い伝えによると伊達政宗が14〜15歳の頃、鮎貝
の合戦に初陣として加わった際、戦いに敗れ、この
桜の洞に隠れて難を逃れた。このため、後に家臣
を遣わして保護にあたらせたという。地元では、春
の農作業の種まき時に桜が開花するので種まき
桜とも呼んでいる。幹の根元は空洞化しているが、
不定根が幹化し、次世代への確実な歩みが感じ
られる。国指定にあわせ、地元保存会では寄付を
募り、周辺の環境整備を行ないました。平成18年
には、周囲の構築物や樹木を移動し根を保護する
とともに、今まで視野的に狭かったこの巨木を広く
ご覧いただけるようにした。[地図]


草岡の大明神桜売店で販売します。



大正4年、大正天皇御即位大典の記念に最上川両
岸の長井大橋〜長井橋間約2キロメートルに「ソメイ
ヨシノ」300本が植えられ、『千本桜』『土手の桜』とし
て親しまれてきた。樹齢約100年の見事な桜並木とな
っている。[地図]

江戸末期から明治初年の頃、現在
の葉山神社の宮司嶽本邦丸氏の
敷地内に、嶽本氏の先祖嶽本竹丸
氏が、白兎地区の全神社を合祀し
た際、記念に植えたもので 「日本
三十三枝垂桜」の1つである。[地図]


白兎の地名由来と白兎石像建立
 約930年前安部貞任宗任と源義家
の戦いで、源氏が安部氏を滅ぼし以
来約330年間この地は荒れ果てた山
であった。
明徳4年(1393年)丹後国(京都の南
西)恵法律師という偉い和尚が羽黒
山に詣でるため、途中現在の五十川
地区四ッ谷の森中の池で砂金で出
来た閻浮檀金(えんぶだこん)の薬師
如来を見つけた。この仏像を捧げて
白狐と白兎に導かれて西山に登り、
平坦な葉山平と農園御田代にお社
を建てて祀った。その道案内を兎が
したことから白兎の地名が出来た。
 葉山神社のご神体は閻浮檀金の
薬師如来です。当白兎地区では、白
兎を神のお使い、幸せを招く兎として
大切に扱われ
家畜としての飼育を禁止してきた。
平成11年1月兎年祝賀イベント事業
の一環として特志者により白兎の石
像を葉山神社境内に奉納し、参拝
者をお迎えすることになった






土地改良された田園の小高い丘に
植えられている桜。天生5年(1577年)
平子家の祖先、上杉輝虎の重臣で
武将であった方が、越後(現在の
小千谷市)よりこの地に移り住んだ
時に植えられたものと言い伝えられ
ている。田んぼの真ん中にひっそり
とたたずんでいる趣のある桜となっ
ている。[地図]



大正4年、現在の外田陽・茂男両医
師の義祖父にあたる修医師が、町の
人々の憩いの場、安らぎと活力の基
とすべく計画をたて長井橋東側一帯
を買い求め、雑木を払って「ソメイヨシ
ノ」が植えられ『外田公園桜』として
親しまれた。 外田山からは、市の全
景が一望でき、堤防に植えられた「千
本桜」も眺めることができ、そのすば
らしい景観は西置賜郡内でも類を見
ない桜の名所となっている。戦争中
の桜の手入れの不十分さと、樹齢が
70年をこえたため老木化しているが、
現在もその美観は失われていない。
[地図]
    
春の陽気をゆっくりめぐりませ
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